私の心の旅は始まったばかり。世界は広く、そして深い。それを理解することは容易ではない。しかし、私はそれを理解しようと努力する。それは私に与えられた使命だと思う。
2013年8月7日水曜日
『バイリンガルニュース マイケルとマミが 爆笑問題カーボーイ に出演するの巻』
Facebookのニュースフィードを見ていたら、このブログでも紹介したバイリンガルニュースのマイケルとマミが「爆笑問題カーボーイ」にゲスト出演するというので「わ、びっくり!」
バクモンの太田が英語の勉強のために「バイリンガルニュース」を利用しているということを自身のラジオ番組「爆笑問題カーボーイ」で言及した後からバイリンガルニュースは数あるポッドキャストの中でも大人気のものになった。
それにしてもトントン拍子で良い方向に向かっているのはすごいね。
爆笑問題カーボーイは深夜のラジオ番組だがもし時間と体力に問題がなければ聞いてほしい。そしてゲスト出演した際のマイケルとマミがどんな感じになるのか実際に聞いてみて判断してほしい。私も来週の火曜は夜更かしして聞いてみようと思う。
あっ、これって「テキーラ祭り」でしょ。
爆笑問題カーボーイ
http://www.tbs.co.jp/radio/format/bakusho.html
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2013年8月6日火曜日
『体が痛い』
体が痛い。原因は病気や怪我ではなく「筋肉痛」である。筋トレの話は前にも書いたが、ある程度負荷がかからないとトレーニングの意味がない。しかし、大変だ。トレーニング中はハイ状態になっているので気持ちいいのだが、終了後がキツイ。そして眠くなるね。だからもう寝るよ、おやすみ。
2013年8月5日月曜日
『偉人たちの言葉 ブルース・リーの哲学』
『地球に別の種類の人間が現れない限り、
工夫次第で戦えるはずだ。
2本の腕と2本の脚、それを最大限に使う工夫をすればいい。』
『成功して有名になると実に簡単に真実が見えなくなってしまう。無理もない。同じことが繰り返されるとそれが当然だと錯覚するからだ』
『本能と抑制というものがある。この2つを調和させる。本能だけ強すぎるとあまりに非科学的になる。抑制だけが強いと機械的になりがちだ。人間らしさを失う。バランスが大切なんだ。質の問題と言える。自然と不自然がほど良く混ざり合う 不自然な自然さ または 自然な不自然さ とも言える』
『人間として学んだものは、自分の人生が何というか… 内省の毎日、つまり自分自身を見つめることの繰り返しだということだ』
『周囲を見ろ。日々が勉強だ。
自分自身を研究するんだ。自己表現をし、自分に誠実であれ。成功した誰かを真似するな。自分であればいい』
『この空の下、天の下では人間がひとつの家族だ。』
心を空にしろ。形を取り去り、無になれ。
水のように。
水はカップに入れたらカップに、瓶に入れたら瓶に、ポットに入れたらポットになる。
水は流れ、水はぶつかる。でも水になるんだ。そしておごらずに流れ続ければいい。
『霊感は、我々個々を解放へと導くものである。』
ブルース・リーの哲学 1
ブルース・リーの哲学 2
ブルース・リーの哲学 3
2013年8月4日日曜日
『私は幽霊を見たことがない』
夏。夏といえば〇〇。この〇〇に何が入るかは人それぞれだと思う。私はこの〇〇に「怖い話」そして「幽霊」を絡めた文章を書いてみようと思う。
巷間で話されている怪談話や幽霊、あるいは都市伝説の類はとても面白いものだと思う。私は今まで一度も幸か不幸か「幽霊」や「お化け」といったものを見たことがない。
自分が見たことがないからといってその「存在」を否定するということはない。
まあ、一度は見てみたいと思うができれば「怖くない」かたちで出現してほしいものである。
顔から血が出ている、明らかに「異形」なるものにはかなりの抵抗感(ほとんどの人がそうだと思うが)を持っている。
ある日隣に「幽霊」なるものがおり、普通に世間話でもして終わりみたいな関係が理想だが、世間の「幽霊事情」はそう簡単ではなくまさしく複雑怪奇なるものが常である。
私は元来オカルトや神秘的現象などに強く惹かれていた人間である。しかし、「科学」というもの、あるいはもっと大きく言えば「知識」が増えるのと同時にオカルトや神秘的現象に合理的な説明、乃至 論理的に破綻していない説明というものを自分の中で作り上げることができた。その過程で多くの超常現象がいわゆる「インチキ」であったり、「トリック」をつかったもの、基本的な科学知識の不足による誤認などがほとんどだという結論に至っている。
多くの科学者はいわゆる「非科学的」なものを忌み嫌うかもしれない。これは私の科学者に対するステレオタイプな見方から発生した考えであって、データを採集したわけではない。
しかし、今でこそ「超心理学」なる学問分野が存在するが一昔前は科学的考察の対象にすらならかったのも事実である。
人は未知なるもの、未知の現象に対して理にかなった説明を求める。なぜなら人はその理性によって理解できないものに対して恐怖を抱くからである。それは我々人類が「生物」であるかぎり抱くものである。恐怖は極めて原始的なものであるが、大脳新皮質が著しく発達した人間の脳も爬虫類などの他の生物と共通した脳の部位、そして働きを持っているかぎり、恐怖そのものを排除することは不可能に近い。
人間の感情表現のひとつとして「恐怖」は存在するが、その根本は人間の脳の構造にあることを認識してもらいたい。
話が脱線したので元に戻すが、私はほとんどのオカルト、超常現象の話に自分なりの「解釈」を加えて受容しているわけだが、どうしても合理的、科学的な説明が難しいケースも多々ある。
そういったものに出くわした時の私の対応が
「うん、そうだな」
である。
つまり、そのような未知なるものを積極的に認めてしまうということである。これは科学者、技術者にとってはそう簡単に受け入れることは出来ないと思うが、私はこういう考え方もありだと思う。端的に言えば「この広い世界、神秘的なもの、未知のものがあったほうがおもしろいよね」というスタンスである。
この100年間で科学技術が発達し人類の生活は便利になりその質も昔と比較したら向上したと考えてよいだろう。
豊かで便利になった生活を送るなかで人間というものは不思議なもので非科学的、非論理、非合理的なるものに惹かれるのも事実である。
すべての「なぜ」に科学は答えることはできない。科学は「どのように」という問いには答えることは可能だが、根本的な問い「なぜ」に対しては明確な答えを出すことはできない。科学は大変多くの分野において「なぜ」という問いに答えることができるようになったが、100年、200年経過しても根本的な「なぜ」に対する答えは出ないだろう。
怖い話、幽霊などは大変興味のある分野である。書籍を通じてよりもこういった類の話はインターネットで知る事が多くなった。時代の変化とともに、怖い話、幽霊の話もその時代に合わせたスタイルのなっていく。
今はネット世界密接にコネクトした状態での話が多いが、これらの話の「原型」といったものは数百年、あるいは数千年前のものと比較して変わることはないのである。つまり、未知なるものへの恐怖、暗いものへの恐怖、それらはどの時代、どの地域でも共通項として存在するものであると私は思うのだ。
2013年8月3日土曜日
『洗濯終了後、ぐ~たら』
今日は午前5時半に起床。英語教材を利用して勉強しつつ、ニュースをチェック。
そんなこんなで午前7時になり、洗濯を開始。量はそんなになかったのですぐに終了。
天気も大変良く乾きもよい。
洗濯終了後、朝食にしようと思ったがなんだか眠くなってきたのでそのまま寝てしまった。
起きたの昼ごろかな。昼食を済ませたあと、特にすることもないのでまた寝ようかなと思ったが、少しは太陽の光でも浴びたほうがいいと思い外出。
*注意【私はひきこもりではありません(笑)】
外出するのはいいけど別に欲しいもの、必要なものは今のところないのでほとんど意味のない外出、まあサイクリングと散歩を兼ねたようなものである。
お金も今月はあまり使うわけにはいかないので財布には現金がないと思って行動している。
お金があると思うと衝動買いをしてしまったりするが、そもそもお金がないとすれば買いたくても買えないのである。
貯金して何かを買う、どこかへ行くなどの計画は今のところない。
今は夏真っ盛り。とにかく暑い。祭りのシーズンでもあるのでどこへ行ってもビールやジュースなど冷たい飲み物が売られている。
私はお酒は飲まないので夏のビールの美味さというものがよくわからないが、お酒が好きな人にとってはこの季節ビールは格別のものであろう。
正直言うと休みの日は家でゴロゴロ寝てたい。水泳など体力練成は日々行なっているが、休みは休むためにある。暑い日に用もないのに出かける必要なんてないと思う。人それぞれだとは思うが、私はエアコンと扇風機を併用した快適な空間で寝ているのが今一番の幸せである。
2013年8月2日金曜日
『もがき苦しみながら、生きる』
人生って長いな。
2時間で終わる映画や結末を簡単に知ることのできる小説の世界の主人公たちは同じ世界で同じことを永遠と繰り返すだけ。
現実の人間の生活はそんなに簡単にはできていないし、ハッピーエンド、バッドエンドどちらで終わるのかもよくわからない。
今生きている瞬間しか人は知ることができないと私は考える。
瞬間、瞬間、刹那の幸福を追求することは悪いことではないと思うし、人は過去へ戻ることもできなければ、未来へ行くこともできない。瞬間、刹那の時をただ生きている。
2013年8月1日木曜日
『偉人たちの言葉 哲学者 中村元 仏教の本質より』
中村元
「学ぶことの少ない人は牛のように老いる。
かれの肉は増えるが知恵は増えない。」
(ダンマパダ 原子仏典のひとつ)
『仏教の教えというものは、上に輝く日月のようなものである。太陽や月があらゆる人を照らすように、仏教の教える真理というものはあらゆる人に明らかなものであり、あらゆる人を照らす 。
続けて釈尊はこう言った。
もしも、自分が人々を導くのであるとか、
あるいは、この修行者の仲間が私を頼っているとか 思うならば、私が死ぬということは大変なことであろう。しかし、私は自分がみんなを導くなんて思ったこともない。またみんなが自分を頼りにしているなどと思わなかった。自分はただ人のよるべき真理、真の生き方というものを明らかにしたそれだけなのだ。
だから なにも自分が消えて亡くなったからといって嘆き悲しむな。
およそこの世ものでいつまでも破れないで存続し続けるものは何もない。いつかは破れ消えうせるもである。
その道理を私はお前たちに今まで説いてきたではないか。ただ私はそこにある一貫した真理というもの、それを説きあかしてきた。だからそれに頼れ。
この変転 常ない世の中では、まず自分に頼るべきである。
自分に頼るとはどういうことであるか。自分はこの場合にどうすべきかということを、その場合 その場合に考えることである。その場合 何を判断決定の基準にするのか。それは「人間としての道」「法」(ダルマ) この人間の理法というもの これに頼ること「自己に頼れ、法に頼れ」これが釈尊の最後の教えである。』
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