Turn on, Tune in, Drop out!!
私の心の旅は始まったばかり。世界は広く、そして深い。それを理解することは容易ではない。しかし、私はそれを理解しようと努力する。それは私に与えられた使命だと思う。
2013年11月9日土曜日
『「500円でわかるiTunes」にバイリンガルニュースが・・・』
書店のIT雑誌コーナーで「立ち読み」(*購入して読んでください*)をしていたのだが、「500円でわかるitunes」を読んでいたらiTunesの機能を説明するために、バイリンガルニュースの画像が使用されていた。
ただそれだけの話なのだが、最近バイリンガルニュースがiTunesダウンロード回数1位に再びなったということで、それだけ人気があり影響力も大きくなったのだと改めて思う今日このごろである。
最初の頃のバイリンガルニュースでの二人のやりとりが懐かしく思える(笑)
2013年11月5日火曜日
『肩が重い』
11月になった。最近はとにかくだるくて何もしたくない日々が続いている。
何よりも体が重い。
軽く筋力トレーニングをしているが、全体的に体が思ったように動かない。
11月になって最初のブログの内容がどうしようもない。すいません(笑)
今度はもう少し考えてから文章にするつもるなので、今日はこれにて失礼。バイバイ(^_^)/~
2013年10月22日火曜日
『あっ、エヴァンゲリオンQ見たね』
死にたいなと思う日々ではあるがなかなか死ねない日が続いている。
少しメランコリックな状態のほうがいい。そのほうが気持ちがいいのだ。
そんな日々を送っているが、この前、エヴァンゲリオンQを鑑賞した。
私はエヴァについてはそんなに詳しいわけでもなく、また好きな作品でもないが一応ニコニコ動画でアニメ版を全て鑑賞し、映画版も地上波で放送されたものを見ているので話の流れは一応わかっている。
しかし、今回見たQは正直おもしろくなかった。要するに、
『すべて
事の発端は碇シンジである
』
『碇シンジはみんなから嫌われている』
『碇シンジはトンデモなくバカである』
ことはよくわかった。
新劇場版は前の2作品の方が私は好きだ。
ハードルを高く設定したのが原因か、この消化不良をどうすればよいのか困ってしまう作品である。
2013年10月20日日曜日
『憂鬱』
憂鬱である。雨はザンザン降る。そして寒い。気分は落ち込む。何もしたくないわけではないが、やはり何もしたくない。一日中寝ていたいとも思うが、寝ていると体力が低下するので軽い筋トレをほぼ毎日実施している。
人間は何もしないで生きていることはできない。どんな人間であろうと何かをしている。こんな「私」でも何かをしている。
嘘である。全て嘘である。
私は現在ある種の「無力感」に襲われている。現在抑うつ状態、非常に疲れやすく、何よりも生きる気力、エネルギーというものがなくなってきている。
メンタルの疲労はフィジカルにもすぐ影響するため非常に困っている。
精神的負担を軽減しようと努力はしているものの、無意識化ではやはり精神的な負担があるのだろう。
それが表面化した時にはもはや手遅れであって、
端的に言えば「死にたい」のである。
毎朝起きるたびに希死念慮が表出してくるが、やるべきことがたくさんあってなかなか「死」を選択することができないでいる。
生きることに喜びや楽しみを感じなくなった人間は、「生」そのものが苦しく、辛いものである。
人間の体は簡単には死ねないようになっている。死ぬにはそれ相応の「努力」を必要とする。また社会も死ぬことを許してはくれない。全く困ったものである。生きるにも死を選ぶにしても困ったものである。全くこの世の中は生きづらい。
ずっと生きづらさを感じてはいたが、なんだろう、自分はこの世界に存在しなくてもいいと思う。72億人も人類がいるのだから一人くらいいなくなっても困りはしないだろう。幸い私は国家元首でもなければ、宗教指導者でもなく、また偉い学者でもない。多分、あってもなくてもどちらでもいい「命」だろう。
時計の針は動き続ける。空間は私の存在を許容するだろうか。
2013年10月15日火曜日
『人間理性の勝利』
われわれは謎に満ちた世界にいる。まわりに見えるものを理解したいとわれわれは望み、こうたずねる。
宇宙の本性は何か?宇宙におけるわれわれの地位はなにか、宇宙とわれわれはどこからきたのか?なぜ宇宙はこのようになっているのか?
このような疑問に答えるために、われわれはなんらかの”世界像”を採用する。平らな地球を支えている無限に積み重なった亀の塔はそのような世界像であり、同じように超弦理論もひとつの世界像である。どちらも宇宙の理論であり、ただ後者は前者にくらべてはるかに数学的で精密であるだけだ。
どちらにも観測上の証拠が欠けている。
地球を背中にのせている巨大な亀を見たものは誰もいない。しかし、超弦を見たものだっていないのである。にもかかわらず、亀説がよい科学理論になりそこねたのは、この説が人間は世界の縁から落ちることがあり得ると予測しているためであった。これが経験と一致することはいまだに確かめられていない。
バミューダトライアングルで失踪したと見なされる人たちの行方が、これで説明できると判明すれば話は別だが!
今日まで、科学者はずっと、宇宙は何であるかを説明する新しい理論の展開に心を奪われていて、
なぜ
と問うことができないでいる。一方、なぜを問うことを商売にしている人たち、つまり
哲学者は科学理論の進歩についていけないでいる。
18世紀には哲学者は科学を含めた人間の知識の全体を自分たちの持ち場と見なし、宇宙にはじまりがあるか、などといった問題を論じたのだった。
しかし、19世紀と20世紀には、科学は哲学者、いや少数の専門家以外のだれにとっても、あまりに技術的、数学的になりすぎた。
哲学者は探求の範囲を大幅に縮小し、今世紀のもっとも有名な哲学者であるウィトゲンシュタインが
「哲学に残された唯一の任務は言語の分析である」
と言うほどになった。アリストテレスからカントに至る哲学の偉大な伝統からの、これはなんという凋落ぶりだろう!
しかし、もしわれわれが完全な理論を発見すれば、その原理の大筋は少数の科学者だけでなく、あらゆる人にもやがて理解可能となるはずだ。そのときにはわれわれと宇宙が存在しているのはなぜか、という問題の議論に参加できるようになるだろう。もしそれに対する答が見いだせれば、それは
人間の理性の究極的な勝利
となるだろう。
なぜなら、そのとき、神の心をわれわれは知るのだから。
2013年10月14日月曜日
『安堂ロイドについて』
『半澤直樹』のあとにSFドラマがやってきた。
昨日第一話を見終えたが、私はこのような作品は嫌いではない。寧ろ好きだが、やはり現段階においては賛否両論の評価になっている。
木村拓哉と柴咲コウが約10ぶりにタッグを組んでやるドラマが「安堂ロイド」である。
↑
10年ぶりの共演とは感じさせないほど若いですね。
↑
人物相関図はこんな感じ
ラブストーリーとサイエンス・フィクションどちらに重きをおいているのか気になって観た結果は明らかにサイエンス・フィクションの要素が強いということ、全面にSF色を押し出しているということである。五次元プリンタ、アスラシステム?、机の引き出しから転送されてくる安堂ロイドには笑ってしまった。100年後の未来から転送されるシーンはもっとハードSF的要素を強めてもよかったのではと思う。全般的に言えるのは和製「ターミネーター」のような感じに仕上がっているので、小型のワームホールが出現してそこから安堂ロイドが現れる、みたいな演出も面白いのでは。
↑
こんな感じでキムタクも裸で登場したら視聴率アップだろうが事務所がNG出すだろうな。
日曜9時のドラマ枠にこんなサイエンス・フィクションドラマを持ってきて視聴率がとれるのか非常に心配である。
純粋なラブストーリーものでも通用するキャスティングにもかかわらず、あえてサイエンス・フィクションの要素を多く盛り込んだその意図を読み取るには時間がかかるであろう。TBSも冒険したなと思うのは私だけであろうか?
2013年9月29日日曜日
『量子論について』
量子論
(
りょうしろん Quantum theory )
は、1900年にドイツのマックス・プランクがエネルギー量子仮説を発表し創始した、量子現象を扱う自然科学の理論の総称である。
その数学的理論体系である量子力学や量子物理学と同一視されることが多いが、量子力学の応用は全て自然科学領域に及んでいる。1927年頃に確立された量子力学に対して、それ以前の学説を前期量子論と呼んでいる。
書店に発売されていた量子論に関する一般向けのとてもわかりやすい本を紹介する。イラストが多く掲載されており容易に量子論の世界観を理解することが可能であろう。
最近、「小澤の不等式」に関するニュースがあった。量子力学を勉強した人はもちろんだが、科学に関心のある人なら知っているであろう「不確定性原理」について新しい解釈が得られたという。
「ラプラスの悪魔」対「不確定性原理」は人間の運命はあらかじめ決定されているのかのという有名なパラドックスであり哲学的な問題があるが、小澤の不等式は完全ではないものの、どちらが正しいか最終的結論へと導くものになる可能性は大きいだろう。
量子論、量子力学は「科学」であって直接的に人間の運命や哲学と結びつけるのは論理的飛躍が見られるが、量子力学の研究者の中にはインドや中国などの思想に量子論的世界観を見出すものもいる。
アメリカの有名な物理学者、リチャード・ファインマンは量子力学における哲学的な背景や意味について言及しており、またニールス・ボーアも「因果律と相補性」の中で量子論的世界観と哲学、運命論との間で共通している部分について言及している。
ボーアは禅や道教などに深い関心を持っていたようである。
アインシュタインは量子論を創りだした重要な人物であるが、彼自身量子論の世界観、古典物理学的世界観との相違に納得することができず、ボーアやその他量子力学の研究者と盛んに議論を行った。有名な言葉「神はサイコロ遊びはしない」というフレーズに量子論に対する懐疑的な態度が凝縮しているものと考えることができよう。
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