2013年1月7日月曜日

『宗教と科学』について思うこと。

2013年を迎えた。心配されていたマヤの終末予言は大外れ、世界は滅亡の危機を無事乗り切ることができた。(マルチバースに存在するもう一つの「地球」は滅亡したかもしれないが) このような「予言」は信じていませんでしたが、ひょっとしたらひょっとする可能性も0%ではないので、内心「何か起こらないかなwkwk」と思っていたことをここに正直に告白する。 小さい頃からオカルトや超常現象、UFO、UMA,など世界中で起きた、あるいは起きている不思議な事が大好きな人間。 自分の頭の中にある「非科学的」なるものを排除するのは至難の業。 いくら物理学や数学の教育を受けてもそういった道、ここではオカルトの道とでも言うが、そういった道を選択し、歩んでしまう人もたくさんいる。オウム真理教に入信した信者の中には東大や京大などの理学部、工学部出身者や、大学院の博士課程に在籍していたものも多くいた。 一連のオウム事件が収束しつつあるなかで、現代の科学万能主義に対する批判は至る所で見つけることができる。 同時に宗教の在り方、現代において「宗教」はどのように存在するべきか、宗教と現代人がどのようにシンクロすべきかなど、宗教の意味を問うものも書籍が大量に出回ってる。 宗教と科学は相容れないものとして世間では認識されているように見える。しかし、科学が行き着く先にあるのは、「宗教的な答え」ではないかと思う。2つの考えの経路は異なるものの、終着点には何らかの共通点があると漠然とが考える。全知全能の「神」の存在はゲーデルの不完全性定理によって「存在しない」ことが論理的帰結として導出されたわけだが、我々人間の論理的思考には限界が存在していること、そして人間はその限界に気づくことができないという明白な答えに対してどのような態度をとることができるのか?不完全、不可能、不確定という3つの「不」は人間理性の限界をロジックで導出してしまっている。現代の科学はまだまだ発展途上であり、未知の素粒子や、数学上の未解決問題、遺伝子工学や生化学、脳科学とコンピューターサイエンスの融合など課題は累積しているのが現状であり、この状態で人間に「不可能」なことがあると言われても「わからない」という人も多いだろう。人間の歴史は不可能を可能にしてきた歴史と言える。我々の脳が遺伝子工学などを駆使して飛躍的に能力が増大した場合、現在我々が使用しているロジックが通用しなくなり、限界がなくなる可能性も0%ではない。人類の遠い行く末を考えると頭がクラクラするのは私だけだろうか?

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