私の心の旅は始まったばかり。世界は広く、そして深い。それを理解することは容易ではない。しかし、私はそれを理解しようと努力する。それは私に与えられた使命だと思う。
2013年1月15日火曜日
原子爆弾は使われない兵器か?
核兵器。人類が保有する最強にして最悪の兵器。実践使用から68年が経過しようとしている。第二次世界大戦終結後、ソビエト連邦とアメリカとの間で起きた「冷戦」という極めて緊張度の高い政治情勢の中で核兵器の実験は数多く実施されたが実戦使用までには至らなかった。米ソ両大国(後に英国、仏国、中華人民共和国なども核兵器を保有)が核実験を頻繁に実施することは相手に対する「牽制」であり、実戦使用の段階まで進むことがなかった。核兵器は「使われない兵器」として存在し、技術の進歩に伴い小型化、ミサイル等に搭載、その威力は増大していった。広島、長崎で使用されたウラニウム型原子爆弾とプルトニウム型原子爆弾などの「核分裂」を利用した核兵器だけでなく、「核融合」を利用した水素爆弾、熱核融合爆弾や爆発の威力そのものは小さいが人体への殺傷能力が極めて高い中性子爆弾など、核兵器のバリエーションは時代の経過とともに大きく変わっていった。ソビエト連邦崩壊に伴い東西冷戦は終結、1990年代はソビエト連邦の後継国であるロシアの政治、経済の不安定状況の中多くの核兵器開発に携わってきた科学者、技術者が他国に亡命、あるいはロシアが保有していた放射性物質、核兵器に使用されるパーツがブラックマーケットで売買されるなど、核の拡散の時代と言える。2000年代に入りアメリカで起きた9.11テロを境に「国家対国家」というある種伝統的な戦争形態は形骸化し、サミュエル・ハンティントンが「文明の衝突」で予測したフォルトラインでの紛争とイスラム文明対キリスト文明の衝突が現実のものとなった。一方で大国間の戦争は「沈静化」している。これは第三国に小規模戦争を行わせ、その小国に銃や爆弾、戦車、戦闘機などの兵器を売りつけるという「資本主義的戦争」とでも言うべき新しいマーケットを開拓したことが「沈静化」の原因の一つとして考えられる。核兵器は現代において絶対に使われない兵器であろうか?私はそう遠くない時代に核兵器は「使用される」と考える。有力なのはインド・パキスタン両国間で行われる限定的核戦争であろう。しかし、これは多くの政治学者が指摘しているので新鮮味はない。あるいは北朝鮮が突如某国に対して核攻撃をするというシナリオも十分にあり得る。特に北朝鮮は政治体制が金正恩体制に移行したばかりで、その体制基盤は決して盤石なものとは言えず、いつ「暴発」してもおかしくない。この朝鮮動乱が勃発した場合、アメリカ対中国による本格的な軍事衝突も誘発しかねない。その時、核兵器は使われない兵器として存在するだろうか?あくまでも最悪のシナリオでシュミレーションしているが、現実の国際情勢は更に複雑であり、カオスである。我々が予測しえない事態が勃発することはあり得る。しかし、歴史を振り返ると数々の国際問題の前には「兆候」が必ず存在する。この兆候を見分けることが重要であるが、人はそんなに賢くないことを歴史は今まで証明してきた。私達はこれからも「証明」し続けるだろう。人類は「賢明」であり、「愚鈍」な存在であることを。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿