2013年10月15日火曜日

『人間理性の勝利』


 われわれは謎に満ちた世界にいる。まわりに見えるものを理解したいとわれわれは望み、こうたずねる。

 宇宙の本性は何か?宇宙におけるわれわれの地位はなにか、宇宙とわれわれはどこからきたのか?なぜ宇宙はこのようになっているのか?



 このような疑問に答えるために、われわれはなんらかの”世界像”を採用する。平らな地球を支えている無限に積み重なった亀の塔はそのような世界像であり、同じように超弦理論もひとつの世界像である。どちらも宇宙の理論であり、ただ後者は前者にくらべてはるかに数学的で精密であるだけだ。


 どちらにも観測上の証拠が欠けている。地球を背中にのせている巨大な亀を見たものは誰もいない。しかし、超弦を見たものだっていないのである。にもかかわらず、亀説がよい科学理論になりそこねたのは、この説が人間は世界の縁から落ちることがあり得ると予測しているためであった。これが経験と一致することはいまだに確かめられていない。



 バミューダトライアングルで失踪したと見なされる人たちの行方が、これで説明できると判明すれば話は別だが!


 今日まで、科学者はずっと、宇宙は何であるかを説明する新しい理論の展開に心を奪われていて、なぜと問うことができないでいる。一方、なぜを問うことを商売にしている人たち、つまり哲学者は科学理論の進歩についていけないでいる。
 

 18世紀には哲学者は科学を含めた人間の知識の全体を自分たちの持ち場と見なし、宇宙にはじまりがあるか、などといった問題を論じたのだった。



 しかし、19世紀と20世紀には、科学は哲学者、いや少数の専門家以外のだれにとっても、あまりに技術的、数学的になりすぎた。




 哲学者は探求の範囲を大幅に縮小し、今世紀のもっとも有名な哲学者であるウィトゲンシュタインが

「哲学に残された唯一の任務は言語の分析である」

と言うほどになった。アリストテレスからカントに至る哲学の偉大な伝統からの、これはなんという凋落ぶりだろう!


 しかし、もしわれわれが完全な理論を発見すれば、その原理の大筋は少数の科学者だけでなく、あらゆる人にもやがて理解可能となるはずだ。そのときにはわれわれと宇宙が存在しているのはなぜか、という問題の議論に参加できるようになるだろう。もしそれに対する答が見いだせれば、それは人間の理性の究極的な勝利となるだろう。

 なぜなら、そのとき、神の心をわれわれは知るのだから。

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