2013年7月31日水曜日

『 偉人たちの言葉 「うそ」について 』




「ひとつのうそをつくものは、自分がどんな重荷を背負い込んだのかにめったに気がつかない。
 つまり、ひとつのうそをとおすためには、別のうそを20発明しなければならない。」
               スイフト

2013年7月30日火曜日

「ニュースに一言 インターネットで核爆弾シュミ―レーション 北極海でメタン放出」



インターネットで核爆弾投下をシュミレート



 インターネットに、Googleの衛星写真上で核爆弾の投下をシュミレートし表示できるサイト・アプリケーションが現れた。ユーザーはこのサイトで、様々な爆弾の威力や使用後の結果などをはっきりと知ることが可能だ。
 「核のボタンを押す」このシュミレータのなめはNukeMap3Dと言い、使うためにはブラウザのGoogle Earthプラグインをインストールする必要がある。
 ユーザーは、爆発させる場所、爆弾の威力(アプリには、実際に存在する爆弾のリストがある)を選択出来、爆発現場を見るには、ボタンを押せばいい。またNukeMap3Dは、使用者のおよその数も算定する。



ニュースに一言…「否定から入らず実際使用してみてから判断せよ」

このようなアプリが誕生するのもITテクノロジーが進歩していくなかで当然だろうが、「趣味が悪い」「教育上よくない」など否定的な立場のみから判断するのはやめたほうがいい。たしかに日本は世界で唯一の被爆国、核兵器を実戦使用された国であり、2011年のフクシマ原発事故以後「原子力」や「核兵器」への国民の関心の高さは普段の生活と密着しており、我々はコントロールができない技術への恐怖を日々無意識ながらもどこかで感じてることは十分に理解できる。昨今、東アジア情勢の緊迫した状況の中で一部の言論人、知識人は「核武装論」というものを本気で語っている。これは今にはじまったことではなく、実際に中華人民共和国が原子爆弾の開発に成功した際、時の日本政府首脳は日本も独自かそれともアメリカを介在させるかアプローチの仕方は違えど、「核武装」を真剣に考えた時期があった。現在北朝鮮などが核ミサイルなどの技術開発を急ピッチで進めており、日本の「防衛」、とくに「核兵器」への脅威にどのように対処すべきか国民も意見を出しあって十分な議論をすべき時であると認識する。我々は非核三原則、憲法9条などの存在が日本を「平和国家」という極めて重要なものにしていることを知っている。「平和国家」として世界に存在することが先駆的であり、全世界に十分アピールできるだけの「強み」であることは事実だろう。しかしながら、我々の考えと理念が残念ながらあまりに「先駆的存在」になりすぎており、世界情勢との乖離も否めないのではないか?世界では残念ながら戦争、紛争といった人間同士の殺戮が行われている。各々の主義主張を平和的に解決することなく、最終的に武力を持ってして「政治的解決」を試みるといったことが21世紀になった今日においても行われてる。我々は平和的手段例えば話し合いによって物事を解決する手段を徹底的に教わってきた。しかし、ドイツの思想家クラウゼヴィッツは主著「戦争論」において「戦争とは他の手段を持って継続する政治の延長」と端的に表現してる。つまり、戦争は特殊なのもではなく我々が政治を行なっていく上で自然発生するものであり、政治と戦争を完全に分離することは現段階においては無理なのである。我々はこの戦争を世界から根絶すべく努力をすべきではあるが、その根本的意味は我々人間の原始的かつ普遍的な「欲望」そのものを根絶することを意味し、これが容易なことではないことは明白なのである。戦争の放棄は素晴らしい理想であり、軍隊がなければ戦争など勃発しないと考えるならば存在しないほうがよいかもしれない。しかし、我々がいくらその理想を現実のものにすべく多大な努力と犠牲を払っても、現実は殆どの国がいつでも戦争できるようその国の経済力に見合った軍隊、あるいは世界を支配下に置くことも可能な巨大な軍隊が存在するのである。我々はこのような世界の現実を見ずして、我らの意見を世界に発信していくことは可能なのだろうか。私はもし日本が世界に向けて主義主張を発信し、その影響力を強めたいと思うなら「軍隊を持つ」という選択肢も十分に議論すべきものであると考える。徴兵制や核武装などはまた別の問題であって我々はまず議論すべきことは「軍隊を保有し、有事の際行動ができるか」否かである。世論は真っ二つに別れることだろう。私はそのほうが良いと考える。なぜなら時局に流された状態で正確な判断を下すことは困難であり、多種多様な考えを持った人間がまず議論の席につきそこから「話し合う」ことが重要であり、民主主義システムが健全に作動していることを我々自身が身を持って知ることができるからだ。世界情勢と日本の理想を合致させるために今何が必要なのか、何をすべきか我々の世代で何かしらの答えを導き出す必要性あると思う。

北極温暖化でメタン放出、さらに加速し6000兆円損害 「時限爆弾」と研究チーム


 北極圏の温暖化が進み海底から待機中に温室効果ガスのメタンが大量放出されると、温暖化が加速し、全世界に60兆ドル(約5900兆円)の損害をもたらすことがわかった。オランダと英国のチームがイギリスの科学誌ネイチャーに発表すた。チームは、「世界経済の時限爆弾」と指摘。指導者らに対策を呼びかけている。
 東シベリア海の海底は永久凍土で、下に温室効果が二酸化炭素の20倍超もあるメタンの個体のメタンハイドレートの形で埋まっている。ところが近年、大気中に漏れ出していることが判明した。夏に海水が覆わなくなり、永久凍土のが解けているためとみられる。
 チームはこの地域の500億トンのメタンが2015年から10年かけ放出された場合の影響を資産。世界の平均気温が産業革命より2度高まる時期が現在の想定よりも早い35年に到来。異常気象や間伐、洪水などおんだかによる今世紀の世界の損害額は、これまで考えられていた400兆ドルにさらに60兆ドル上乗せされるとした。

ニュースに一言…「新しき資源は時に人類社会に悪影響を与える」

 現在メタンハイドレートはポスト石油時代における重要な資源として世界各国から注目されている。日本は資源の乏しい国として有名だが、幸い日本は広大な海をその領土としているため、海底資源採掘事業に国は多額の予算をかけている。アメリカではシェールガスの採掘も19世紀のゴールド・ラッシュさながらの勢いを持ち、アメリカ全土掘削できるところを探索しては採掘する作業が行われている。我々がこの社会を維持し続けていくには当然だが莫大なエネルギーを必要とする。しかし、このエネルギーは無限に存在し、簡単に自然界から取り出せるものではない。技術と費用がかかってしまう。我々の社会は莫大なエネルギーを必要としているの同時に、莫大なゴミ、メタンガスや二酸化炭素など地球の環境に深刻なダメージを与える原因物質をほぼ垂れ流している状況が続いている。現在、地球温暖化を防ぐため、先進諸国はクリーンエネルギーへの移行を進めており、日本もこのクリーンエネルギーの分野では画期的な技術を持っているのでそれを活かしたエネルギー政策が実施されつつある。しかし、全ての国がこのようなクリーンエネルギーへの移行を進めているわけではない。新興国の場合、経済発展に伴う二酸化炭素の排出を先進国が取り締まることはその国の経済成長を鈍化させることにつながり、内政干渉とでもいうべき事態を引き起こしかねない。世界が協力して環境問題に取り組むべきとは正論ではあるが現実はそんなに容易くない。だからこそ先進諸国はクリーンエネルギーに関する技術をほぼ無償で供与していくことが重要になっていく。また新興国の経済発展、人口規模の拡大も念頭にいれた環境対策の立案と速やかな実行が求められる。地球は多少のダメージがあっても自力で修復できるだけの力はある。しかし、人類の出現、繁栄に伴う地球への負荷、ストレスはもはや地球そのものが持っている修復能力だけではどうすることもできないところまで来ている。もしも、地球環境の全ての問題を今すぐ解決したいなら「人類がこの地球上からいなくなる」ことくらいしかない。しかし、今現在それはできないのであってやはり必要になってくるは国家間が己の利益だけを追い求めるだけでなく、他国と協力しながら「未来」の設計図を書いていくしかないのだと思う。

2013年7月29日月曜日

『 ニュースに一言 』

   当たりクジなし、詐欺容疑で逮捕!



 27日、大阪市阿倍野区の神社で行われた夏祭りで、実際には当たりクジが入っていないにもかかわらず、「当たりを引けばゲーム機がもらえる」として露店でくじを販売していた男が逮捕された。
何度クジを引いても当たりが出ないことを不審に思った客が警察に相談。27日夜、およそ100人の客がクジを引いて誰も当たらないのを確認した上で、翌日露店を捜索すると、かごの中は外れクジだけだった。


ニュースに一言…「この客、よくやった!」

 記事を読んでいくとこのお客はクジに一万円以上つぎ込んだそうだ。大部分のお客は「今日はついてないな」と思いそこで終了だが、このお客の「執念」、一万円以上つぎ込んで何もないなんておかしいと思うのはある種当然だろう。各地で夏祭りが行われる季節、露店側も今までは「ハズレクジ」だけでごまかしていた部分もあるだろうが、この事件を機にそんなごまかしがもはや通用しないということ念頭に商売をしたほうがよいだろう。


ロシア議会下院、インターネット検閲法を審議



 ガスドゥーマ(ロシア議会下院)で「健康および発育に有害な情報から児童を保護することに関する法律」の修正案が審議されている。卑猥な言葉への検閲が、マスメディアだけでなく、インターネットやSNSによる言論活動にも適用されるようになる。



 下院家族・女性・児童問題担当委員感のエレーナ・ミズリナ委員長のによれば、児童の目がインターネットやSNS上の卑猥な言葉に触れることに憂慮を覚える多数の保護者から請願が寄せられたという。卑猥な言葉の氾濫によって、児童に「これらは普通に使用していい言葉なのだ」という誤った観念が植え付けられない、とミズリナ委員長。
修正法案が可決すれば、検閲対象は全インターネットに拡大される。卑猥な言葉を用いたSNS上の表現には警告が発せられ、24時間以内にページが削除されない場合は閲覧がブロックされ、ブラックリストに登録される。 ザ・ボイス・オブ・ロシアより
 



ニュースに一言…「子どものためでなく、政治家の利権を守るための言論統制には断固として反対の声をあげよ!」


 事実上のプーチンによる独裁体制と言っても過言ではない現在のロシアに政治状況。国民の声が正しく立法府まで伝わっているのか疑わしいかぎりである。プーチンや政府に対する批判、抗議活動、デモやそれを主催した人、ネット上で政府批判を行なってきた人気ブロガーを「犯罪者」にする国家。警察権力を濫用して国民の正当な権利である政府への抗議活動を弾圧する国家は「民主主義」的国家とは言えない。現在世界規模で急速に浸透しているインターネットを政府の管轄下に置き、国民の行動を全て監視下の置きたいという政府や官僚の思惑は我々にもうわかりきっていることである。


 アメリカ合衆国も「スノーデン事件」以後、この思惑が国民に広く知られるようになり修正を余儀なくされている。アメリカの場合、仮にも民主主義の機能はしっかりと働いてるため方向修正も比較的容易だろうが、政治が腐敗している、新陳代謝のよくない国家はすぐに改善することはなく、実行に移すのは「暴力」による取り締まりの強化である。確かにインターネット上には過激な暴力、SEXに関する発言や動画などが氾濫している状況は認めざるをえない。しかし、そのような有害サイトから子どもを守るためのサイトヘのアクセス権限そのものを政府によって勝手に制限され、取り締まりの対象にされることは最善の手段と果たして言えるだろうか?私はこのような方法はあまりに安易であり且つ危険であると思う。この記事を読む限りだとやはり私には子どもを守るためというのは「大義名分」であり、本音は現政権を守る、あるいは政治家の既得権益を守るためだと考えるのが妥当だろう。個人のインターネットを利用した政治的発言や活動を政府が規制するなど言語道断である。それは国民の権利の侵害であり、国民を蔑ろにしている証拠である。ネットは諸刃の剣である。日本でも今年の参議院選挙はインターネットを利用した選挙活動が解禁され「ネット選挙」などともてはやされ、政治家とインターネットの在り方が注目されたところである。インターネットは政府のご都合主義に合わせて存在しているのではない。もしも、政府がこのネット空間までその巨大な権力の手を介入させるならば我々は剣を持ち断固戦わなければならない。


「車椅子の天才物理学者」ホーキング氏に1985年に安楽死を提案 


 28日付サンデー・タイムズ紙は「車椅子の天才物理学者」として有名なイギリス、ケンブリッジ大学のスティーブン・ホーキング博士(71)が1985年に、体調悪化のため医師に「安楽死」を勧めらていたと報じた。博士が新しい記録映画のインタビューで明らかにした。
60年代に難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の診断を受けたホーキング氏は85年、滞在先のスイスで肺炎のため重篤な状態に陥った。医師が生命維持装置を外し安楽死させる選択肢を提案し、当時の妻、ジェーンさんが拒否したという。
当時ホーキング氏は、のちに世界的大ベストセラーとなる「ホーキング、宇宙を語る」を執筆中だった。


ニュースに一言…「ホーキング博士、あなたは生きているだけで十分素晴らしい」

 ホーキング博士の一連のブラックホールに関する研究やミクロ世界の物理法則を扱う「量子力学」とマクロ世界の物理法則を扱う「一般相対性理論」を合体させた「量子重力理論」への貢献は理論物理学の世界だけでなく実験物理学の世界においてもその影響力は大きい。



 現在スイスのジュネーブで稼働している大型ハドロン衝突型加速器はホーキングの提唱した「ホーキング輻射」の理論があるからこそ安全に稼働している。



 このアインシュタインと肩を並べる大天才ホーキングが難病にその体が冒されながらも不滅の業績を残したことを我々は後世までちゃんと語り継がねばならない。



 世界的ベストセラーになった「ホーキング、宇宙を語る」の印税収入によって結果的にホーキングの命を救うことになるが、もしもこの本が出版されるまえに安楽死を選択していたらと思うとゾッとしてしまう。欧米では安楽死を認められている国もあり、また各国とも議論が盛んである。我々もこの安楽死いうものをより真剣にもっとその議論を深めていく必要があると思うのである。

『タモリは天才だ!』

 
 
 評論家小林信彦は著書「日本の喜劇人」にて「たけしは秀才、タモリは天才」と評している。


今から約30年前の日本のお笑い界はビートたけし派とタモリ派に分断されていた時代があった。


私はタモリ派の人間である。たけしももちろん好きである。喜劇人としてだけでなく、映画監督、作家、画家、俳優ときに数学の問題に取り組むその姿勢は尊敬に値するし、まさに「タレント」を持った人間であることは確かである。しかし、私はタモリ派である。タモリは端的に言えば「頭がいい」。タモリは映画も作らないし、小説を書くこともないし、絵は描かない。しかし、タモリは最高の「タレント」を持った人間である。


早稲田大学で哲学を学び、自動車販売の営業、ボーリング場の経営など実社会で生きていた人間が、突如ブラウン管に映る人間になった。テレビを見る側の人間はテレビを媒介して日本に巨大なお笑い電波を発信してしていく人間になった。


それは時代の波に上手く乗ることができたからと一言で表現できるかもしれない。しかし、同時代にタモリのような才能を持った人間はひとりもいなかったのだろうか?天才は天才を集める。漫画家赤塚不二夫との出会いはタモリに強い影響を与えた。


タモリの才能を見出し、その才能を伸ばし、タモリを最高の芸術作品に仕上げた。人は人との出会いなくしてその才能を100%活かし、伸ばすことには限界がある。同時代にタモリと同じ才能を持った人間はいたかもしれない。しかし、その才能は開花することなく、全ての才能は「タモリ」という「作品」に結集した。タモリとは現在のお笑いを作った人間の一人である。四ヶ国語麻雀、北京放送、形態模写、寺山修司のモノマネは私のお気に入り。言語と哲学と音楽を織り交ぜる、高次元の多分野に存在していた「学問」をミックスし、一般人にも十分理解出来る形まで変形させるもその「本質」そのものは変えることなく「笑い」というものをつくった。そんな「笑い」はかつて存在しなかった。タモリは未知の分野を開拓した先駆的存在である。タモリは真面目な人間である。真面目な人間が本気で「壊れる」と恐ろしい「怪物」に変貌する。タモリは飄々としている。難しい問題には当たらず触らずというポジションにいるように見える。しかし、タモリはいつも「本気」で生きている。そして自分に絶対的な自信を持っていることは確かであろう。複雑怪奇なる芸能界においてこの確固たる意思なくして「タモリ」は存在しなかっただろう。タモリとはタモリである。タモリなくしてタモリはない。唯一無二の絶対的存在としてタモリはいるのだ。

『人気のバイリンガルニュース 私の勝手な妄想』

 ポッドキャストで大人気の「バイリンガルニュース」
世界でホットなニュースをバイリンガル会話形式でゆる~く配信、爆笑問題の太田光がこのポッドキャストを英語学習に利用していることを自身のラジオ番組で話してから、このバイリンガルニュースは今や大人気のものとなった。私も前回ブログでこの「バイリンガルニュース」については言及している。バイリンガルニュースって何?という人はNAVERまとめがあるので見てみると良い。
爆笑問題のラジオで取り上げられた今話題の英会話ポッドキャスト
「バイリンガルニュース」NAVERまとめ 
     リンク http://matome.naver.jp/odai/2137448786591158001


 さてここからが本題だが、回を重ねるごとにマイケルとマミがどのような人物なのか少しずつ情報が入ってくる。マミはギャル口調のトークだが、ギャルではないらしい、「テキーラ祭り」という言葉をよく言うがお酒はそんなに強くないなど。
そして、マイケル。最近だんだん「覇気」を感じるようになってきた。最初はボソボソ話していて「やる気あるのかな?」とか「気怠いのかな」と思って聴いていたが、音声機材も充実してきたのか、マイケルも「おっしゃ~、やってやるぞ!」となったのかわからないが、マイケルも最初と比較するとだいぶ変わってきたなと思う。


 今回のブログのタイトルである「私の勝手な妄想」はマイケルの「顔」である。
今、話題の元CIA職員エドワード・スノーデンがゆる~く喋っている感じなのかなと思う。


 本当はハーフらしい。だけどスノーデンが日本語喋ったら多分マイケルみたいなるだろうなというくだらないことを考えている今日この頃である

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2013年7月28日日曜日

「ニュースに一言 マイマイガの大量発生 インドの毒入り給食事件」


 市民大わらわ、蛾が大量発生 大野市中心部、駆除に追われる

 福井県大野市中心部の広範囲で、26日夜から27日にかけ、蛾(が)の一種のマイマイガが大量発生した。27日は早朝から六間、七間、三番など各通り沿いの商店や民家で、市民が壁、軒下など建物に張り付いた成虫や卵塊を取り除く作業に追われた。勝山市でも同日、旭町2丁目の国道157号交差点周辺の電柱、店舗の壁などに発生が見られた。
 街路灯などの明かりに誘われて集まったとみられ、大野市は27日、大量発生したこととマイマイガの習性、駆除方法をホームページや回覧で通知した。ただ市街地では農薬の散布が難しいこともあり、市は駆除など対応を市民に求めている。 
 県自然保護センターの水谷瑞希企画主査は「理由は分からないものの大野の山の木々に、幼虫が大量にいたことは確認していた。成虫や卵塊の細い毛は毒性が弱く神経質になることはないが、じかに触れないよう気を付けるに越したことはない。特に卵は翌年の発生を防ぐためにも見つけたら取り除いてほしい」と話している。 
 

  

マイマイガ

    一言…「いやー、かゆくなってくる」
 昆虫、虫の大量発生ニュースは正直苦手である。
生物の大量発生は天変地異の前触れ?みたいに考える人もいるらしい。昔から大地震が起こる前には犬が普段よりワンワン吠え続けたり、ネズミが大量に一斉に移動したりと普段見ることができない特殊行動をする例がいくつかある。大地震の場合、人間以外の動物は何かしらの電磁波の微妙な違いを感知して行動するという仮説を唱えている学者もいるが、今のところは動物の奇異行動と災害発生に関係性があるかどうかははっきりしていない、研究途中の段階である。今回はマイマイガの大量発生。特に災害がどうのこうのという問題ではないだろう。ただ、見ていて気分の良いものではない。
(蛾や蝶を愛する人には申し訳ないが)

インド毒入り給食事件…行方不明の女性校長を逮捕

インド東部ビハール州の小学校で休職を食べた自動ら23人が死亡した事件で、地元警察は24日、行方不明となっていた女性校長(41)を殺人などの容疑で逮捕した。
 インド政府は貧困対策の一環として、全国の公立小学校で児童役1億2000万人に給食を無料提供している。今回の問題発覚後、粗悪な食材のりようや不衛生な管理が各地で指摘され、全国で不調を訴えたり給食を拒否したりする児童が続出している。
地元メディアは貧困層の児童に給食を無料で支給している州政権の評判を落とすために、野党支持者の夫が校長と共謀し、給食に毒物を混入した疑いがるとした報道している。


一言…「この校長は本当に馬鹿者だ!」
 己の利益のために子どもの命奪うような人間が教職に就いている事自体驚きだが、インドはBRICsの一員として将来の世界経済を牽引していく大国への道を歩んでいる途中だが、目に見えるインフラストラクチャだけでなく、人材の開発、教育のインフラ整備はまだまだ発展途上と言わざるを得ない。教師としての「倫理」の低さが罪なき子どもたち、これからの社会を築いていく子どもたちの命を大量に奪うという結果を招いた。このような事態が二度と起こらないようにインド政府は本腰を入れて教育のインフラ整備を実施していく必要がある。インドは国土面積はヨーロッパ大陸とほぼ同じくらいで広大な国であり、人口は12億人を超える巨大な国である。中央から末端まで命令、指示が伝わるかどうかこれも重要な問題である。

2013年7月27日土曜日

『ニュースに一言 2 』
   

●気になったニュース、時事問題に一言

1,肥満が理由でビザ更新拒否、国外追放も
 
 

ニュージーランド移民局(INZ)が、体重が130キロある南アフリカ出身の男性について、肥満を理由に就労ビザの更新を拒否していることが分かった。男性は国外追放される可能性がある。ニュージーランドメディアが27日、伝えた。
 INZは「ニュージーランドの医療サービスの財政負担を最小限に抑えるため、全ての移住者は許容範囲内の健康状態であることが重要だ」と説明。男性は、身長と体重から肥満度を算出する体格指数(BMI)が基準を超えていたとしている。
 男性は妻と一緒に2007年に移住した当時、体重が160キロあったという。妻は「これまでビザ更新に問題はなかった。夫は生活スタイルを変えて30キロ減量した」と訴え、更新許可を求めている。(共同)
現在世界には約20億人の肥満成人がいるとされる。肥える人間も多いが、飢餓、栄養失調で死ぬ人間が多くいる。人口が急激に増加していく、しかし食料生産が間に合わない状況を
「人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが生活資源は算術級数的にしか増加しない」
と表現したイギリスの経済学者マルサスはその主著「人口論」において理論を展開していった。

現代、科学技術の発展によって食料生産の分野においても劇的な変化が起こった。本来この地球上には全人類を十分に養っていけるだけの食料が存在しているといわれるが、その食料は全人類に正しく分配されていない。それは科学技術の問題ではなく政治、経済を含めた人類社会全体のシステムの問題でありその改善が求められる。肥満という問題はテクノロジーの進歩によって人類社会の生活の質が向上されていく中でどの国もどの民族もこの肥満の問題にぶつかることになる。食べることは人間の基本的欲求の一つである。安く、美味く、ボリュームがある食事を何時でも食すことができるライフスタイルが欧米先進諸国では確立されているが、今はまだ経済力が脆弱な国でも国が冨めば自然と人々の生活水準が向上され、食生活の改善、欧米型ライフスタイルが浸透していけば、肥満人口は今後も増加していくし、肥満により他の病気に罹患する可能性は大きくなり人類全体の健康水準は低下していき、各種医療サービスにかかる費用は税金によって賄うのか?といった様々な問題が生まれてくる。WHO 世界保健機関はこの「肥満」という問題に正面から取り組み解決手段を今後提示しなくてはならない。

『ニュースに一言』

 今日は現在進行中のニュース、時事問題を題材に私の独断と偏見による一言を付け加えるという形式で進めていく。

1,スペイン列車事故の運転士、Facebookにスピード自慢「200キロ出してやった!」

 スペインで起きた高速鉄道の脱線事故、現在のところ死者80人、負傷者約170人という大惨事になってしまった。この事故の原因は現在詳しく調査されているところだが、この列車の運転手に過失があったのではないかという疑惑が浮上している。この運転手は自分のFacebookを開設し、以前に200キロで運転したと自慢していたという。

 ● 多くの人間の命を預かっているという非常に責任ある職業であるにもかかわらず、仮にこのようなことが事実だとしたら、運転手の危機管理能力の低さ、職業倫理の欠落にはある種の怒りすら感じる。自分の「見栄」のために何の罪のない人間の命を一瞬でうばってしまう、愚かの一言である。
   最近はTwitterやFacebookなどSNSの普及に伴い様々な問題が発生している。大手コンビニエンスストアのアイスを保管する場所に入って涼んでいる写真をTwitterやFacebookに投稿、拡散、炎上、その涼んでいる本人は罪悪感がないのかもしれないが店側は「大迷惑」の一言である。商品はすべて処理、最悪店そのものが潰れてしまったというケースもある。SNSは非常に便利なツールであることは百も承知である。しかし、それを使う人間の倫理観の崩壊、モラルハザードは深刻である。ツールはあくまでもツールでありそれを生かすも殺すも使っている人間次第。道具に使われる人間ではなく、道具を使いこなせる人間になれるよう日々心がけたいものである。


2, 細野幹事長辞任きょう辞任 後任に大畠氏

 
 民主党は26日、常任幹事会を党本部で開いた。海江田万里代表は、8月末としていた細野豪志幹事長の辞任を前倒しし、後任に大畠章宏代表代行を充てる人事案を示した。海江田氏は党内手続きを踏まえ、同日中に決める構え。先の参院選東京選挙区で党公認を取り消された大河原雅子氏を支援した菅直人元首相については、3カ月間の党員資格停止とする処分案を示し、了承された。 (ニコニコニュースより抜粋)

 ●参議院選挙で圧勝した自民党はさておき、いわゆるリベラル陣営の「崩壊」「瓦解」ぶりはすさまじい。二大政党制、保守政党とリベラル政党が均衡状態を保ちながら政治を進めていくという話も「はるか昔にあった」が、民主党や社民党なのリベラル政党の勢力が衰えるとこれからの政治運営にある種の危機感を覚える。端的に表現すれば「バランスが悪い」 右から左まで全てが揃った状態で政治は進めていくべきである。共産党はだいぶ頑張ったみたいだが、これはちょっと特殊である。誰とは言わないが民主党の総理経験者の方々はもう何もしないで地元で静かに療養してほしいというのが本音ではないだろうか。厄介な荷物は早く処分したほうがいい。党内をまとめあげ再び政権を運営できるよう今はとにかく「自己反省」と「総括」の日々が続くことになるだろう。

2013年7月26日金曜日

『アカサタナ・ハマヤラワの法則、生を謳歌せよ』

 「アカサタナハマヤラワの法則」という面白いものを見つけたので紹介する。 

この法則は若者が実社会において円滑に生活していくためのコツを端的の表現したものである。例えば「あ」は↓

 「ありがとうは何度言っても良いこと」

う…「運を引き寄せるために努力し続けること」
き…「今日から始めること」
             などなど。
この中で私のお気に入りの言葉をいくつか紹介する。
け…「健康は当たり前と思ってはいけない

・いつ何時病気や怪我をするかわからない。備えあれば憂いなし。

こ…「心を鍛えるには体を鍛えること」

・健全な精神は健全な肉体に宿るという言葉があるがストレス解消のために運動をすることは重要である。腕立て伏せをしてみる、ちょっとウォーキングしてみる、なんでもよい。体を動かすことによって心はリフレッシュされる。

し…「叱られるの20代の特権であること」

・叱られる、怒られることは正直言って嫌なものである。しかし、年齢を重ねるとだれも叱る、怒るということをしてくれない。「この人はこういう人間なんだな・・・」と思われそこでおしまい。アイデンティティを大きく成長させていく上で叱られる、怒られるという環境にいることをネガティブに捉えず、ポジティブに捉えて「この人は自分のために怒ってくれている、叱ってくれているんだな」と思ったほうがいい。全員が理性的に叱る、怒るということはしないだろう。感情的なものがほとんどかもしれない。しかし、そこで「絶望」することはない。

つ…「強がらくて良いこと」

・人間というものは「弱い」生き物だ。弱さを隠すために人は見栄を張る、弱いがゆえに傷つけあう。人は弱い、己は弱い生き物であるという認識が社会に広く浸透すれば弱肉強食の社会ではない相互理解、互いに助け合う社会というものが必然的に生まれる。多くの人間が自分の弱さを知ってる。しかし、弱いことを認めること、弱さを人に見せることを「恥」と思うことはもうやめよ。みんな弱い、だからこそ助けあおうよ。

な…「涙を流すことは恥ずかしくないこと」

・泣こう!泣くことは最大のカタルシスである。

の…「残り時間を意識すること」

・人間は残念だが不老不死ではない。この世に生きとし生けるもの全てはやがて「消滅」する。人生という長い時間を有益に利用するため今できることは今すぐやって、最善の道を歩むべく日々努力しよう。
他にもいろんな言葉があるがあとは自分で検索してみるといい。

       つれづれなるままに


・若者が自ら命を絶つ、「自殺」すること。私はこれを残念に思う。そして悲しく思う。
 なぜこれからの世界を創造していく若者が死を選択するのか。
選択肢の中に「死」というものが入っている。これは辛い。
もしも、「死」を考えている人がこのブログを見てたらこう言いたい。

「死ななくてもいい。逃げろ、まず逃げろ、自分の安全が確保される場所まで逃げろ」

そして、周囲の人間に自分の今の状況を話そう。誰でもいい。家族でも、友人でも、公園でゲートボールをしてるおじいちゃん、おばあちゃん、誰でもいいからとにかく話そう。

 君は死ぬために生まれたんじゃない。よく生きるために生まれたんだ。

 君はダメな人間ではない。君はできない人間ではない。人間は誰しもが何かしらの才能を持っている。その才能を無理して開花させる必要はない。残念ながら才能ある人間が活動できる場所は限られている。

 ダメならダメでいいんだ。ダメ人間も人間である。人間はこの世に生まれた瞬間「生きる権利」が生まれる。これは誰にも侵害されない権利である。
 
 とりあえず生きよう!生きることはそれだけで美しい。
 
 この世に存在するものの中で生きることがどれだけ美しいものか。それを感じてほしい、考えてほしい。
 
      逃げることは恥ずかしくない。
 
 状況が明らかに不利な状態で「戦う」ことはそもそも無理である。逃げる言い換えれば「退却」である。敵前逃亡ではない。安全圏まで後退して準備を整えることが必要である。戦の場合はまた戦場に赴くが、我々がいるところは戦場ではない。無理して戦う必要もないし、問題に真正面からぶつかるのではなく、上手く避けることも重要である。戦う人間は他にもいる。自分には手に負えないと思う問題にぶつかったら一歩下がり立ち止まり考えよう。
 
 死んだら周囲の人が悲しむとかそんなことは一切気にする必要はない。なんでもいい、ただ生きるだけでいい、それが大切なんだ。

『人生は辛いものだ。人生は苦悩と懊悩と退屈の連続だ。人生は長く先行きは不透明だ。
 しかし、人生は楽しく、人生はただそれだけで意味があることだ。生を謳歌せよ!』

 『若人よ! 死ぬなかれ。 君は死ぬにはまだ早い。 生きよ! しぶとく生きよ!
 生きることは美しい、 世界のどこかに一輪の綺麗な花が咲いている それはただ咲いているだけで美しい それだけでいい。
花 それ自身「美しい」 
         君 君自身「美しい」
  人はみな死ぬ。 でも今死ぬ必要はない。まず生きよ。
   生きることはそれだけでいい。』

2013年7月24日水曜日

『万物の背後にある生命』


 あらゆる現象の背後には、無限なるものー全能の力の海ーが横たわっているが、この世のことのみに熱中している人々は、この霊的存在に対する畏敬の念を忘れ果てている。近代科学はわれわれに自然の利用法を教えたが、そのためにわれわれはかえって、万物の背後にある大生命を見失ってしまった。自然に対する気安さは、自然の奥に秘められた神秘を侮る結果を招くに至った。われわれと自然との関係は、今や一種の取引関係にも似ている。われわれは、自然を自分のために利用することばかり考えて、いわばなぶりものにしている。そして、そのエネルギーを利用しながら、その根源についてはまだ何も知らないのである。自然科学の面で、われわれの自然に対する態度は、まるで傲慢な主人が召使いに接するときの態度と同じである。あるいはまた、哲学的な面では、自然は証人台に引き出された捕虜にも似ている。われあれは自然に向かって訊問し、糾弾し、その証拠品を人間の図りー自然の隠れた価値を測ることのできない小さな秤ーにかけて、こまごまと評価しているのである。

2013年7月23日火曜日

『 教え 』

 
人間が空腹を訴えるのは、必要な食物の補給を促すためであって、意地汚い食欲をあおるためではない。それと同様に、性的本能も、自然が種族保存のために植えつけたもので、あくなき性欲を駆り立てるためにあるのではない。

    
誤った欲望は今すぐ捨てなさい。


 さもないと、その欲望はお前の幽体が肉体の殻を脱ぎ捨てたあとまでもお前についてくる。たとえ肉体は弱くとも、心はたえず抵抗しなくてはならない。誘惑の強襲を受けたら、冷静な自己分析と不屈の意思をもってそれを克服しなさい。そうすれば、どんな欲望も必ず押さえることができるものだ。


 自分のエネルギーは浪費せずにたくわえておきなさい。そして大洋のような大きな器となって、感覚の河川から流れ込むすべての刺激を静かに飲み込んでしまいなさい。
 感覚的刺激を次々と追い求めることは、心の平和を蝕むことになる。それは、水桶のそこにあいた穴のようなに、大切な活力の水を漏らして唯物主義の砂漠の中に失わせてしまう。誤った欲望を駆り立てようとする執拗な衝動は、人間の幸福を脅かす最大の敵だ。厳然たる自己制御の王者となって人生を歩みなさい。感覚の弱卒どもの弱音に耳を傾けてはならない。

2013年7月22日月曜日

『岩波の「六法全書」2013年版で終了について』

岩波書店で、1930年から続けてきた「六法全書」の刊行を昨年秋に出した2013年版で終了した。インターネットの普及などで条例や判例の調べ方が多様化したため、大学生向けの需要が減少したのが理由だそうだ。


私は法律を専門的に勉強してはいないが、読書好きな人間にとってあの分厚く格式高い「六法全書」は一生に一度は目を通す書物として勝手に位置づけていた。憲法改正論議が盛んにニュースや新聞など各メディアで取り上げられているが、憲法は勿論だが日本の法律が網羅されているこのような本が「本」という形式で出版されなくなるのは残念に思う。合理的に考えれば六法全書の「電子化」は避けては通れないものになることは十分に予見されてたことだが、やはり少し寂しい。様々な書籍が電子化されていくことは非常に便利ではあるが、本への愛着心が強い私みたいな人間にとっては何かこの合理化を頭で理解できない側面があることは否めない。

THE FIFTH ESTATE Official Trailer

Kick-Ass 2: Extended NSFW Trailer

2013年7月21日日曜日

『上半身ハダカで過ごす日々』

 
 
  
  最近は家の中では上半身ハダカで過ごす日々が多い。理由は”暑い”から。エアコンと扇風機を使用してもまだ暑い。シャツ一枚でも暑いので最終的にそのシャツを脱ぐ。就寝時も最近はNAKEDになることが多い。ネイキッド・スネークだ。

『風立ちぬ 観てきた』

 
 
『風立ちぬ』 観てきた。点数は80点。映画を観て泣いたのは久しぶりだな。隣の客がやたらハンカチで顔を拭っているので最初は「そんなに暑いのかな・・・」と思っていたが、映画館はエアコンが適度に効いており汗が出るような環境ではない。多汗症なのかなとも思ったが、順当に考えればこれは「感動して、泣いてる!!」という結論に達した。ちなみにその観客は女性だった。そして私も「もらい泣き」である。
 

 今回の作品は正直言うと「そんなに面白くないだろう」と思い、ハードルを低めに設定していた。それが原因かはわからないがストーリーが真っ直ぐ私の心の中に入ってきたので「感動」してしまった。主人公堀越二郎とヒロインの菜穂子との恋愛模様は「三文芝居」感は否めないが、これぐらいベタな方が見やすいのかなと思う。というよりこの二人の「愛」の話より「飛行機」への「愛」の話が重要になってくるだろう。監督の宮崎駿が飛行機好きなのは有名だが、この作品は航空機を愛する人によって描かれた、航空機が大好きな人向けの作品と言っても過言ではない。私は飛行機にそれほど関心はないが「技術者」として堀越二郎の人物像は好感を持つことができる。日本が欧米諸国と肩を並べられるまでに至る道を開拓してきた人物の描き方は秀逸である。話はそんなに難しいとは思わないが小さい子どもが観ても「つまんな~い」「どういう意味?」と思うのは当然だろう。その当時の歴史背景を理解した上で本作品を鑑賞するのが妥当だと思う。「沈頭鋲」を理解する子供に私は逆に驚いてしまう。そもそもアニメは子どもが見るものという考えは捨てたほうがいい。
 


 堀越二郎の声はかの有名なアニメ「エヴァンゲリオン」の監督庵野秀明。ネットでは庵野では心配という声もあったが私はスムーズに庵野の声を受容することができた。寧ろ庵野の声は堀越二郎という真っ直ぐで純粋な青年を上手く表現している。
 思想、イデオロギー的な問題、映画の深層構造の解読は他の評論家に任せるとして、最近のジブリ作品の中でも一二を争う良い作品としてこの「風立ちぬ」を是非映画館で観てもらいと思う。
 この映画をもっと楽しむため、深く知るためにこの本を読んでおくといいだろう。

2013年7月19日金曜日

『 風立ちぬ 』



明日は「風立ちぬ」の公開日だ。
見に行くべきか、迷う。


2013年7月18日木曜日

『今日は暑かった』


 最近、昼食をバナナからロールケーキに変更した。


理由はカロリーが高いから。甘いモノを食べたくはないが・・・。高カロリーの昼食を摂取しても「運動」によってほとんど消費されてしまう。今は体全体に脂肪をつけたいのだが、意に反して「筋肉」がどんどん大きくなっていく。 


   ブラッド・ピットよ  なんてこった。

2013年7月17日水曜日

「iMacを簡単にデュアルディスプレイにする方法」


iMacMacBook)とテレビ(モニター)を接続して、パソコンライフをより便利に、より快適にしていこう。デュアルディスプレイにするために使用する道具はこれ↓
 ミニ・ディスプレイ・ポート
         HDMI変換ケーブル

Amazonベーシック ハイスピードHDMIケーブル (タイプAオス- タイプAオス、イーサネット、3D、オーディオリターン対応)

 
この2つのアイテムを購入して、iMacとテレビを接続すれば「終了」
 
価格もAmazon等で見てもらえば手頃な価格で購入することが可能。

簡単なのでほとんどの人ができると思う。
他にもマルチモニターにする方法はあるのでネットなどで検索して自分に一番最適な方法を選択してほしい。 

 

2013年7月16日火曜日

『 哲学に何ができるのか? 』

  自然科学の研究の多くが、具体的な技術となって私たちの生活に貢献しているのに比べれば、哲学は実生活には何の役にも立たない。もっともらしい議論を展開して、人を煙に巻くくらいはできるかもしれないが、そんなことをしても、変わり者としてうるさがられ、オタク扱いされるのが関の山。

だったら、哲学は何のためにあるのか?



『哲学には、何もできない』
「何かができる」ということが「眼に見える成果をもたらす」という意味であるなら、「哲学には何もできない」といえる。
 しかし、「物事の真理を知ろうとすることが哲学だ」と言うことができるかもしれない。真理を知って何の得があるのか?残念だが何のメリットもない。
 ただ、なぜか人間は知りたがる生物であることは確かである。では、「知る」とはなんだろう?


『人間は「知りたがる動物」だ』
「知る」ことを固く言うと、「認識」である。
「認識する」とは、存在しているものについて、それが何なのかを考えること。「認識する」とは、思考してYOUと、私によって思考されているモノとの関係を意味する。ただし、それは「真理を知る」ということではない。
 私たちの認識はたいてい「だいたい」である。私たちは自分の友人についてどれだけのことを知っているか?ごくわずかしか知らないだろう。ただしそれが「友情がない」ということにはならない。
 存在するモノをくまなく認識する(知る)という意味では、真理はありえない。 
 

 どんな認識も、私達の感覚や理性の働きを媒介にして成立している。当然、私たちの感覚器官が、認識に反映することになる。私たちにもう一つの目があったら、世界の風景は全く違ったものに見えるだろう。

 どんな認識も、感覚や理性に媒介されているということは、何かをありのままに知ることなどない、ということ。

 
 どんな認識も、絶対の真理ではないが、少しも真理を含んでいない認識も存在しない。妄想や誤謬でない限りは、それなりの真理を含んでいる。 
 
『哲学で養えるのは、クールな目?』
私たちは、太陽を回る地球が本当はどのような運動をしているのか知らない。それでも私達は、地球が太陽の周りを回っていることを知っており、そう認識している。 
肉眼には太陽が東の地平線から昇って西に沈んでいくとしか見えなくても、真実は大地のほうが動いているのだと認識する。だからこそ科学の進歩がある。
 大事なのは、絶対の真理はありえないという態度をどんな時も忘れないこと。それが「懐疑主義」と言われる態度である。
 懐疑主義というと「真理など何もない」と言いきる詭弁と混同されがちだが、それは違う。
 真理などない、言い切ってしまえば、その断言が真理だということになる、真の懐疑主義とは「真理など存在しない」と断言するのでなく、「絶対に」と口走る者を決して信用しない態度を保つことである。
 認識は、蓄積できる知識とは違って、自分には知らないことがあるとわかった上で、どうすれば「知らないこと」を埋められるかを模索することである。
 いつでも認識を深めていく、あるいは積み重ねていく作業こそが哲学だと言えるだろう。

 哲学は何かの役には立たないが、あらゆる物事をクールに見る目を養ってくれる。


リストラされずに会社にいることを何より大事なことだと思い込んだり、社会に愛想を尽かして新興宗教にのめりこんだりといった一途な思いこみから、さまざまな悲劇が生まれる。
 「あらゆる物事をクールに見る目」とは単にシニカルなポーズを気取ることではない。熱狂から生まれる悲劇を避ける目を養うことが可能なのである。