私の心の旅は始まったばかり。世界は広く、そして深い。それを理解することは容易ではない。しかし、私はそれを理解しようと努力する。それは私に与えられた使命だと思う。
2013年7月29日月曜日
『タモリは天才だ!』
評論家小林信彦は著書「日本の喜劇人」にて「たけしは秀才、タモリは天才」と評している。
今から約30年前の日本のお笑い界はビートたけし派とタモリ派に分断されていた時代があった。
私はタモリ派の人間である。たけしももちろん好きである。喜劇人としてだけでなく、映画監督、作家、画家、俳優ときに数学の問題に取り組むその姿勢は尊敬に値するし、まさに「タレント」を持った人間であることは確かである。しかし、私はタモリ派である。タモリは端的に言えば「頭がいい」。タモリは映画も作らないし、小説を書くこともないし、絵は描かない。しかし、タモリは最高の「タレント」を持った人間である。
早稲田大学で哲学を学び、自動車販売の営業、ボーリング場の経営など実社会で生きていた人間が、突如ブラウン管に映る人間になった。テレビを見る側の人間はテレビを媒介して日本に巨大なお笑い電波を発信してしていく人間になった。
それは時代の波に上手く乗ることができたからと一言で表現できるかもしれない。しかし、同時代にタモリのような才能を持った人間はひとりもいなかったのだろうか?天才は天才を集める。漫画家赤塚不二夫との出会いはタモリに強い影響を与えた。
タモリの才能を見出し、その才能を伸ばし、タモリを最高の芸術作品に仕上げた。人は人との出会いなくしてその才能を100%活かし、伸ばすことには限界がある。同時代にタモリと同じ才能を持った人間はいたかもしれない。しかし、その才能は開花することなく、全ての才能は「タモリ」という「作品」に結集した。タモリとは現在のお笑いを作った人間の一人である。四ヶ国語麻雀、北京放送、形態模写、寺山修司のモノマネは私のお気に入り。言語と哲学と音楽を織り交ぜる、高次元の多分野に存在していた「学問」をミックスし、一般人にも十分理解出来る形まで変形させるもその「本質」そのものは変えることなく「笑い」というものをつくった。そんな「笑い」はかつて存在しなかった。タモリは未知の分野を開拓した先駆的存在である。タモリは真面目な人間である。真面目な人間が本気で「壊れる」と恐ろしい「怪物」に変貌する。タモリは飄々としている。難しい問題には当たらず触らずというポジションにいるように見える。しかし、タモリはいつも「本気」で生きている。そして自分に絶対的な自信を持っていることは確かであろう。複雑怪奇なる芸能界においてこの確固たる意思なくして「タモリ」は存在しなかっただろう。タモリとはタモリである。タモリなくしてタモリはない。唯一無二の絶対的存在としてタモリはいるのだ。
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