私の心の旅は始まったばかり。世界は広く、そして深い。それを理解することは容易ではない。しかし、私はそれを理解しようと努力する。それは私に与えられた使命だと思う。
2013年6月21日金曜日
『日常風景の中にある人類の遺産』
散歩している時は「考える時間」になっている。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは弟子たちと日中散歩をしながら「哲学」をしていたと言われてる。私は「哲学」はしてないが「考える」ことはある。
アリストテレス
街を行き交う自動車を見て私は思った。「車輪を発明した人間は偉大だ」と。自動車だけでなく車輪は輸送手段としての技術として終わることなく水車、歯車糸車、アストロラーベ、トルクエタムなどの動力となり、現代においてはプロペラ、ジェットエンジン、フライホイール(ジャイロスコープ)、タービンなど文明の根幹を支える重要な「テクノロジー」になった。車輪の原型は諸説あるが今から約6000年前に出現したと言われている。新大陸(アメリカ大陸)では残念ながらこの車輪を「発明」することはできなかったようだ。しかし、ユーラシア大陸に生まれた数々の文明において車輪は飛躍的な進歩、進化を遂げることとなる。結果として新大陸への車輪の伝播は「侵略」の形式の中に組み込まれることとなってしまう。
コロンブス像
この車輪を誰が「発明」したのかは現在のところよくわかっていないようだ。それは誰が最初に「火」を使用したのかと同じくらい古代における「不思議」なことの一つに数えられるだろう。文字を持たなかったため、戦火によって文献資料が焼失するなど様々な理由で「もの」の起源について正確に把握できていないことが多々ある。「紙」も歴史の教科書では中国の蔡倫が「発明」したことになっているが本当かどうか疑わしいところもある。
蔡倫
ルネサンス3大発明の活版印刷、羅針盤、火薬などはヨーロッパではなくその源流がは中国にあると言われてる。学校で習う歴史の教科書に書いてあることは「偉い学者」によって書かれているが必ずしも正確ではないこともある。もし私が車輪の発明者であればさっさとパテントを取得して大儲けと言いたいところだが、はるか昔に「パテント」という概念など存在していないわけで結局は私も広大にして深淵なる人類の歴史の中に埋没していた「人間」になっていたことだろう。
エジソン
発明王エジソンは19世紀のアメリカに生まれたからこそ「発明王」として「歴史」に名が残っているのであり、生まれた時代と場所が100年違うだけで歴史の中に埋没していただろう。
スティーブ・ジョブズ
アップルのCEOティム・クックは現在スティーブ・ジョブズのような人材を採用するか?と問われたところ「それは無理」と答えたらしい。今のアップル社には「ジョブズ的人間」は必要ないらしい。それよりも体制に従順的で効率的に仕事をしてくれる「安定的」な人材が必要なのだろう。
チャールズ・バベッジ
階差機関
チャールズ・バベッジが階差機関を発明したのは19世紀、それは現在のコンピュータの先駆的存在でもある。しかし、それは10世紀ではダメなのである。19世紀にバベッジが発明しなければこの世界には存在してはいけない。SFの世界には「オーバー・テクノロジー」が多くある。核融合推進装置、レールガン、常温超電導など現在の科学技術力では発明されていないそれらのテクノロジーは人間の「思考」の中には既に存在しているものの私達の眼前に存在はしていない。10年か100年先かは予測がつかないが今現在「オーバー・テクノロジー」と言われてるものもいつか「発明」される時がくるだろう。そしてそれらを発明した「科学者」「技術者」の名前は歴史の中に埋没することなく永遠に残り続ける。「車輪」を発明した「・・・」ではなく、はじめて火を使った「・・・」ではなく「私」の名前が後世まで残る。そのような時代に生きているのだと私は歩きながら考えるのであった。
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