2013年6月24日月曜日

『キング牧師とマルコムX、プロフェッサーXとマグニート 世界の多様性について」

     黒人による公民権運動の指導者であり、いまや歴史上の「シンボル」となった二人の人間。
「明」と「暗」対照的な人生を歩むこととなる二人の人間が歴史の大きな流れに飲み込まれていく。キング牧師はボストン大学にて神学の博士号を取得している人間、マルコムXは二十歳の時に強盗事件を起こして刑務所に入る。人種的マイノリティという枷はありながらも大学にて高等教育を受けることができたキング。彼も勿論「洗礼」のごとく「人種差別」を体験している。マルコムXは幼少期はとても利発な少年であったが、父親は白人至上主義団体「KKK」によって殺害され、母親は発狂。利発な少年であったマルコム・ジュニアは学校で人種差別を経験する。教師から進路を聞かれた時、マルコムXは弁護士になりたいと答えたが、その教師はマルコムが「黒人」であったため非現実な「夢」であると説き伏せ手先が器用だから大工のほうがも向いていると言う。学校に通っている間も周囲からの「人種差別」を体験する。人格形成において大変重要な時期にもかかわらずマルコムの環境は最悪と言っても過言ではない。そしてマルコムはアウトサイダーとしての道を歩むことになる。強盗の罪で「白人」であれば通常2〜3年の刑だがマルコムが「黒人」であったため懲役10年の刑が科され刑務所に収監される。収監中彼はこの世界に存在するあらゆるものに対して罵詈雑言を浴びせ続ける。特に「神」と「聖書」に対し徹底的に批判し続ける。「神」の教えを熱心に学んだキング牧師とは対照的である。マハトマ・ガンディーから多大な影響を受けたキング牧師は黒人の「人間」としてごく当たり前の諸権利を獲得するために「非暴力・不服従」による戦いを開始する。マルコムXは黒人に対して「暴力」を用いて「弾圧」を加えるならば黒人も武装し「暴力」によって「抵抗」すべきであると主張し過激な運動にその身を投じることになる。二人の公民権運動、黒人の諸権利を獲得するための「戦い」はアプローチの仕方が全く違う。しかし二人の「戦士」は同じ「夢」を持っていた。黒人も白人と何ら変わらない「人種差別撤廃」という大きな夢と目的を持ち、その目的を完遂するために努力を惜しまず、誰よりも強い信念を持ち続けた。公民権運動の成功に多大な貢献をした人間キング牧師とマルコムX。
プロフェッサーX
マグニート

   アメリカのコミック「Xメン」に登場するキャラクターで「プロフェッサーX」と「マグニート」がいる。「Xメン」の中で描かれる世界では突然変異によって生まれたミュータント間(話が進展するにつれて人類を巻き込む)で壮絶な戦いが繰り広げられている。特殊な能力をもったミュータントが数多く登場する中で代表的なキャラクターといえばこの二人になろう。人間心理の「善」と「悪」、「明」と「暗」を上手に擬人化し表現している。ミュータントは人類から差別され、迫害される。個々の持つ能力に対して一般的な人間の理解を遥かに越えているため、それらを理解できないがために由来する「恐怖」は差別を助長し、迫害を深刻化させる大きな理由となる。この二人のキャラクターを創作するにあたって参考にした言われるのが先に述べたキング牧師とマルコムXである。話し合いを中心に置き平和的手段を用いて人類とミュータントとの共存社会を作り上げるために努力するプロフェッサーX、一方ミュータントに対して暴力を用いて迫害を行うならば断固として「暴力」による生存権の建設を目指すマグニート。このXメンが連載された時期はアメリカの公民権運動、ウーマンリブなどが巨大なムーブメントとなった時代に重なる。現在ではLGBT、性的マイノリティへの偏見、差別、迫害をなくしていこうと先進諸国では盛んに議論が行われている。この間フランスで同性婚が法律で認められるようになったが、同時に反対、抗議活動も多く見られた。同性愛者、性的マイノリティへの理解不足、既存の秩序や体制の崩壊を加速させるのではないかという非理性的な反応。これらはどの国、どの民族でも起こりうる。偏見や差別やまず「無知」から来る。そしてその「無知」は「恐怖」へと変化し加速化させる。「無知」と「恐怖」はマスヒステリーという形で巨大化しある特定の「民族的マイノリティ」を「絶滅」しようとした歴史的事実がある。私たちはいつ「自分」が「マイノリティ」になるのかはわからない。今日「社会的多数派」であっても明日は「マイノリティ」になるということは十分にあり得る。そのような事を「想像」できるかどうかはとても重要である。そしてエンパシーする能力がある。アメリカのSF作家フィリップ・K・ディックは「ロボット」と「人間」を区別する一つの基準として共感できる能力、感情移入できる能力の有無を挙げている。「想像」することの重要性を認識すること、共感する能力を発展させていくことは今後人類の普遍的な教育において重要な位置になければならない。多様性を認めあうことの出来る社会こそ人類が歴史上作り上げることのできる最善の社会形態のひとつである。この「理想社会」を築き上げるためには多大な努力と犠牲が必要になる。しかし、今私達の世代において多くの犠牲が出ることは致し方ない。なぜなら私達はまだ「幼い」のである。高度な社会を構築するということは我々人類全体が「高度」な存在にならなければならない。しかし、現在の人間の肉体及び精神は非常に脆弱なものである。この脆弱な肉体と精神を加速度的に発達するテクノロジーを用いて補い、強固な肉体と精神を構築することは21世紀の全人類に与えられた大きな課題である。トランスヒューマニズムの考え方であるが、私はこのような人間の変化、言い変えれば「進化」を自ら起こす事が出来るならば積極的に行うべきと考える。そこには倫理的課題が山積しているがそれも私達の世代で解決できるよう最善の努力を行わなければならない。次の世代に私達は何を残すことができるのか?負の遺産の継承は避けなければならない。キング牧師とマルコムXは黒人の公民権獲得の為にその生命を結果的に「捧げる」こととなった。しかし、この犠牲によって人類世界の更なる向上をもたらしたことは明白である。犠牲者はキング牧師やマルコムXだけではない。歴史の表舞台に出ることなく死んでいった人間がたくさんいる。その多くの犠牲の上に我々が存在し、この世界があるということを決して忘れてはならない。そして同時に我々はこの社会と歴史を現在進行中の形で「作り上げている」ということも忘れてはならない。現実社会に起きた社会運動、そしてそれにインスパイアされて描かれたコミックの世界観を通して私たちは多くを学ぶことができるだろう。

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